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執筆者の写真キボタネ

【2021若者PJT】山田久仁子さんの運動史聞き取り感想文

坪井佑介


今回の若者プロジェクトでは2021年9月11日と9月25日の2回にわたって山田久仁子さんへのインタビューを行いました。山田さんはフィリピン元『慰安婦』支援ネット・三多摩(ロラネット)のメンバーとしてロラ(タガログ語で「おばあさん」)と呼ばれるフィリピンの日本軍「慰安婦」の被害者への支援活動を長年行ってきた方です。また、ロラネットでフィリピンの「慰安婦」の歴史を学ぶためのワークショップを学生や市民向けに行っており、ロラたちの歴史を幅広く社会に伝えるための活動にも力を入れられています。今回はそんな山田さんに学生時代の話からフィリピンでの「慰安婦」問題に取り組むようになった経緯、そして日本やフィリピンでの活動のことなど、山田さんの人生史をたっぷりとお聞きすることができました。


 山田さんが社会運動に関わるようになったのは大学に入った時からで、大学寮で知り合った仲間などと徐々に運動や現場に足を踏み入れるようになったといいます。語りの中で「とりあえずやってみて」「軽い気持ちで」と何度かおっしゃっていたのが印象的で、自身の関心に赴くままに足を運び、思い切って行動に移してみるという山田さんの姿勢は学生時代から一貫していたように思います。そして、その中で生まれた様々な「出会い」が山田さんの人生を大きく動かしてきたことが分かりました。


 1990年代からピナツボ火山噴火被災者への支援などでフィリピンを訪れるようになったという山田さん。被災した先住民を訪問し、親しい関係を築くようになったといいますが、彼ら彼女らとの会話の中で戦時中の日本軍のフィリピン侵略の話を徐々に耳にするようになったといいます。ピナツボ火山周辺もまた第二次世界大戦の激戦地の一つでした。日本の加害の歴史は知ってはいたものの、フィリピンで活動している際にはそうした視点が抜け落ちていたのだそうです。支援活動を行っている自らを「良いことをしている」と考えていた山田さんですが、先住民らから日本軍の蛮行を直接聞き、はじめて日本人の一人としての自分の立場に気づかされたのでした。

 日本軍は戦時中にフィリピンへの侵攻を行う中で、現地の女性を性奴隷にして強姦を繰り返しました。山田さんもフィリピンでの運動を続けていく中でこの「慰安婦」問題にも関心を持つようになりましたが、山田さんをこの問題へと強く突き動かしたのは一人のロラとの出会いでした。当時(今でも)山田さんが運営していたフリースペースに、訪日したロラたちが泊まるようになるのですが、はじめて宿泊したのがフェリシダッド・レイエスさんでした。彼女は支援者の話に丁寧に耳を傾けながら「あなたも苦労したのね」と語りかける優しいおばあさんだったそうです。他者を思いやる物静かなレイエスさんの姿をみて、こうした物言わぬおばあさんたちがアジアには何万人もいるのかとハッとしたといいます。実際にロラの一人と出会ったことで、日本人である自らに責任を感じるとともに、「自分でも何かできるのではないか」「やらなければ」と思うようになったということでした。

 それからロラネットで様々な支援活動に力を入れていった山田さんでしたが、山田さんの語りの中でとりわけ心に強く残ったのは最高裁棄却の話です。ロラネットはロラたちによる日本政府を訴える裁判も支援していましたが、裁判の結果は事実認定すらしないもので、さらに最高裁の棄却決定をフィリピンにとって大変特別で重要な日である12月25日クリスマスの日に行うという、まさにロラ達の心を踏みにじるものでした。フィリピンではクリスマスは一大イベント。何カ月も前から準備する一年に一度の幸せの日なのです。その日に判決を下すというのは、これ以上ないひどいことだと山田さんは涙を流されていました。ロラ達の思いに深く寄り添って共に活動してきた山田さんだからこそ、その決定に対する怒りと悲しみは大きかったのだと思います。

 もう一つ、個人的に興味深いと感じたエピソードがあります。2000年代後半ごろに「慰安婦」問題を即時解決しようと全国各地の市議で決議が可決されるようになるのですが、これを山田さんが住んでいる市でも実現させようと当時の市議の各会派を訪ねて「慰安婦」問題について説明したといいます。予想以上に積極的な議員や話を聞いてくれる議員が沢山いて、結果的に全国で7番目に決議が本会議で可決された時は本当に嬉しかったそうです。自分の街という足元でも地道に活動をされていた山田さんの行動力に強く感銘を受けました。

 日本軍による蛮行を語ったフィリピンの先住民、物静かで他者に寄り添うロラ、積極的に決議に協力した議員、活動の中で様々な人と出会いながら山田さんは運動を続けてこられました。足を運び、人と出会うこと、これは運動の原点でもあると思います。関心はあったものの「慰安婦」問題にはなかなか取り組みにくかったという声は本プロジェクトの参加者からもありましたが、とにかく一歩を踏み出してみるという姿勢で地道に活動を行ってこられた山田さんの運動史からは学ぶことばかりでした。もちろん、運動を続ける中では、裁判の話のように壁にぶつかり、悔しさや悲しみを感じることも沢山あると思います。しかし、自分なりにできる運動を行い、一ミリでも活動を広げていくことが社会を変えていく一歩として本当に重要であることを山田さんから学びました。

 私にとって今回山田さんと出会い、お話をきけた経験はとても特別なものでした。プロジェクトでは今後も様々な形で運動に携わってこられた方のお話を聞いていきますが、お一人お一人との貴重な「出会い」をこれからも大切にしていきたいと思いました。プロジェクトにご協力してくださり、二回にわたって本当に沢山のお話を聞かせてくださった山田さんに深く感謝申し上げます。ありがとうございました。

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