古山夏帆
この若者プロジェクトではずっと、運動家の方の話を「聴く側」であった梁さんが「聴かれる側」となり、国籍問題から、運動デビュー、ハルモニとの出会い、運動と家族生活の両立にいたるまで、ご自身の「運動史」を話してくださいました。初回となる、2021年11月28日の聴き取りでは、「私は1957年7月16日生まれ...、(大変細かく)日にちまで言ってます(笑い)」と、いきなり、参加者を笑顔にさせてしまうところから始まります。
梁さんは、中学2年生の時に、ある教師がきっかけで「イズム」に対する不信感を抱き、「自分の頭で物を考える人になろう」と強く思ったそうです。その姿勢は、その後の、2021年12月11日、12月26日、と続く調査でも一貫して見られました。理不尽や賛同できないところに対して反発しながらも、全面的に否定するのではなく、「今の自分があるのはコリアンコミュニティーのおかげだと思うのよ」と振り返り。ルーツ探しや国籍について考え抜き、ある日突然、八百屋の前で「私がヤンチンジャっていう名前で、こう、生きていく限りは、うーん、私はそんなに揺らがないで生きていけるんだなって思ったのよ」とひらめき。理論武装された「『慰安婦』問題に関わる理由」を、そのまま取り入れるのではなく、尹順萬さんや宋神道さんを始めとしたサバイバーの女性との出会いを通じて、梁さんなりに見つけていく。このように、自分と、相手や問題に向き合い続け、借り物の「誰か」の言葉を手にして満足するのではなく、運動や人々との出会いを通して考え続けた人生がありました。
易しそうに見えて実は難しい、「自分の頭で考える」を実践し続け、自分のなかで葛藤を抱えながらも、それを今まで表に出さずに活動されてきた、梁さん。そんな運動家の半生とその語る姿は、参加者全員を夢中にさせ、魅了し、3回の全日程において梁さんに対する参加者からの質問は止まりませんでした。この感想の下書きも、最初は梁さんへのラブレター、のようになってしまったほどでした。
私を含め、プロジェクト参加者の「若者」も、近いうちに先輩になり、次の「若者」と一緒に学ぶ時が来ます。そのとき、「慰安婦」問題自体と共に、運動家の方々の強い意志を引継いでゆきたい!忘れたくない!忘れてほしくない!と強く思う、そんな聴き取り調査でした。
梁さん、3日間本当にありがとうございました。心から感謝申し上げます。
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