若者企画報告
「金福童の道」を歩く
私たちは2023年8月5、6日に韓国・梁山を訪れ、「金福童の道」を回りました。金福童さんは日本軍性奴隷制度のサバイバーであり、戦時性暴力問題や朝鮮学校をめぐる問題の解決のために活動を続けた人権運動家でもあります。その金福童さんの故郷である梁山で、金福童さんに関連した場所をたどりながら、植民地支配の歴史や金福童さんの人生に思いを馳せることができるのが金福童の道です。梁山で運動をしている方々の案内のもと、金福童の道を回りました。
まず、訪れたのはムルグム駅の副駅長宿舎。この駅は1905年に日本による大陸侵略計画の一環で開業した鉄道の駅です。日本は梁山でとれた米や綿花を収奪し、日本に送ります。この駅、鉄道も梁山で作られたものを日本に輸送するために使用されました。この向かいにある駅の倉庫に保管されたのち、鉄道で釜山港、下関まで運ばれました。植民地支配に日本が行った作物、資源の収奪の歴史を見つめ直すことができる場所でした。
次に訪れたのは南部市場。南部市場にある小さな公園・サムジ公園は1919年3月27日に万歳運動がはじめて行われた場所です。ここには、丸まった姿勢で平和を象徴する鳩に餌を与える少女の像があります。これは「平和の少女像」ではありませんが、南部市場の近くには金福童さんの生家だった場所もあり、平和を願う少女の姿に金福童さんの姿が重なりました。
梁山の小高い山の上にある春秋公園にも足を運びました。ここの一角にある春秋園寺という寺は金福童さんと金福童さんのお母さんの思いに触れることができる場所です。このお寺は金福童さんが解放後に故郷に帰ったあと、生まれた家から歩いて通い、療養した場所です。また、金福童さんのお母さんが帰ってこない金福童さんの健康と安寧を願って建てた小さな石像があります。山の上から梁山が見渡せる景色の美しい春秋公園。ここから、金福童さん、そして金福童さんのお母さんは何を思ったのでしょうか。
最後に訪れたのは市街地から少し離れた場所にある通度寺。ここには金福童さんが建てた石塔が置かれています。金福童さんは1992年はじめて証言をして、解決のために活動を始めたが、日本政府が謝罪を行わず、問題が一向に解決しないことに失望し、2000年にソウルから釜山に戻り一人で暮らしていました。しかし、その後、妹の提案を受けて通度寺に石塔を建て、再び活動をしようとソウルに戻りました。その後は人権活動家として亡くなるまで精力的に活動を続け、多くの人々を勇気づけました。この石塔から、金福童さんの強い決意や平和への願いを感じとりました。
金福童の道への訪問はきぼたねの若者ツアーにて2023年3月にも行われました。金福童さんの故郷を歩きながら金福童さんの人生に触れた梁山でのツアーに多くの参加者が感動し、もう一度ゆっくりと梁山の地で金福童さんの想いに触れたいという声が高まりました。そして、若者ツアーの参加者の一部と新たな参加者を交えて金福童の道への再訪を計画し、キボタネ若者助成金企画を用いて実現に至りました。そして、私たちが訪れるだけでなく、もっと多くの方々に金福童の道のこと、そして金福童さんの人生について知ってもらうために、この訪問をもとにした金福童の道のリーフレットを作成しています。ぜひ、みなさんにも梁山の金福童の道を訪れ、金福童さんの人生と彼女の想いに触れてほしいと思います。
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